あまあまバーラート

祝ってやる

アホ毛から始める初期ゆずこ考

はじめに

 

来てくれてありがとうございます。

このページは、2018年ゆゆ式 advent calender 17日目の記事として投稿されたものです。(https://adventar.org/calendars/3137

当初枠を取っていた方が解除されており、それを発見して自分が急遽書くことにしました。16日23時の出来事でした。17日に間に合えばいいな。(→間に合いました。やったね!)

感謝ついでに、他の方の記事、過去の年も合わせて、を見てほしいと書いておきます。どれも海より深いゆゆ式愛が伝わってきて心が溢れそうになりますよ

 

本編:アホ毛から始める初期ゆずこ考

 

 突然ですがこの画像を見てください。1巻の1話です。

f:id:akari413:20181217180721j:plain

ゴゴゴゴゴ
お分かりいただけただろうか。

アホ毛がない。初めて気づいたときは衝撃でした。

f:id:akari413:20181217222305j:plain

誰だよ。

アホ毛の片鱗、みたいな、例えるならヒトの尾てい骨のようなものはありますが、1巻1話の段階ではアホ毛がない。
以下のように、2話以降からどんどんアホ毛らしくなり、1巻ラストでは完璧なアホ毛に成長するのですが。(左上が2話、右上3話、左下4話、右下14話)

f:id:akari413:20181217181221j:plainf:id:akari413:20181217181234j:plainf:id:akari413:20181217181248j:plainf:id:akari413:20181217181302j:plain

つまり、初期のゆずこデザインでは、アホ毛が生えていなかった可能性が高いのです。
変化が意図してなのか手癖なのか分かりませんが、どちらにせよ「三上先生のゆずこ像が1巻の中で変化した」と言えるのではないでしょうか。
以下では、他の漫画の「アホ毛が生えた、なくなったキャラ」を参考に、「最初期のゆずこはどんなキャラだったのか」を考えていこうと思います。

 

ケース1:八神アスカ(氷川へきる作「CANDY POP NIGHTMARE」、スクウェア・エニックス

f:id:akari413:20181217190029p:plainf:id:akari413:20181217190043p:plain

←Before After→

出ヤロウですいません。第1話の登場時にはアホ毛がなかった主人公のアスカ君。主人公なのに2話は出番がなく、3話で1コマだけあらわれましたがその時にはもうアホ毛に侵されておりました。
これは、1話では主人公としての登場、3話以降は「主人公なのに出番が少ないギャグキャラ」となったことが原因と思われます。
氷川先生のことだから1話ではわざとアホ毛を抜いていた可能性が微レ存。
主人公らしいシンプルな見た目に特徴をつけるためのアホ毛、ギャグキャラということを表明するアホ毛
そう言われればゆずこも、1話では直接的に面白いことは言ってないですね。「面白い会話にしようとする」要素は初期の設定では薄かったのかもしれません。

 

ケース2:玉依シイナ(鬼頭莫宏作「なるたる」、講談社

f:id:akari413:20181217195559p:plainf:id:akari413:20181217195739p:plain

 ←Before After→

シイナはゆずこと少し異なり、小学生から中学生に成長する過程でアホ毛が生えます。
いわゆるセカイ系に分類される「なるたる」。シイナは、星の子と出会い、地球規模の事件に巻きこまれます。
そんな彼女のアホ毛は、厳しい環境に一本だけある細い木のようなものを連想させます。
周りから不幸が与えられても、自分にはできることがないという無力感、ただ耐えるだけしかない辛さ。
「自分はシステムに過ぎない」ことの表れ、と書いてもしっくりきます。
ここでのキーワードは「人間性の削除」と考えます。

 

ケース3:古谷向日葵(なもり作「ゆるゆり」、一迅社

f:id:akari413:20181217201519p:plainf:id:akari413:20181217201529p:plain

←Before After→ 

なもり先生はアホ毛(に該当する部分)も感情表現として使っておられるようで、同じ話同じキャラでも、アホ毛があったりなかったりアホ毛らしきものが立ってたりして、データが取りづらいのですが、明確に向日葵ちゃんだけはアホ毛が抜けてます。
ゆずことは逆にアホ毛が抜けるデザインとなった向日葵ちゃん。彼女には天然、活発、ペット的可愛さを持つ、櫻子という幼馴染がいます。
初期のころはお互いライバル視しておりケンカもよく行う関係に描かれていましたがのちに、友達で同じレベルではあるが櫻子の暴走を諫める役割にもなっていきます。
向日葵のアホ毛が抜けたのは、そういった常識を持つキャラになったこと、天然成分や子供っぽさが減ったことに対応したものと思われます。
ゆずこにあてはめてみます。1巻の登場人物紹介にある「割とかしこい」は、今のような「気が利いたことが言える、一般人には届かない言葉が浮かぶ」といった意味ではなく、そこから天然成分を抜いた、「勉強ができる、頭の回転がはやい」といったイメージだったのかもしれません。常識は今でもありますね。子供っぽさは…分かりませんが見ていて可愛いキャラにはなっています。

 

アホ毛まとめ。

 

探してみると意外といますが、とりあえずはここで打ち止め。調査している内に、これら3つetcのまとめとしてハマる言葉が浮かんできました。
アホ毛が生えると、「漫画のキャラ然」となる。
言葉を追加すると、「現実界から遠くなる」「漫画の中で役割ができ、キャラ性が強くなる」。
これが非常に分かりやすい形で表されている漫画がありましたので参考までに紹介します。(ネタバレに関わるので参考にとどめます。)
ケース4:フジノ(フジワラキリヲ原作協力、緑のルーペ作「ブラパ」、スクウェア・エニックス

f:id:akari413:20181217204641p:plainf:id:akari413:20181217204651p:plain

ゆゆ式10周年、作風も徐々に変化し続けています。
ここまでの考察や自分の読み込みを踏まえてその変化を言葉にしようとすると、
「ゆずこ、ゆかり、ゆいを描く」から「ゆずこ、ゆかり、ゆいが過ごす日々を描く」漫画になっている、と自分は言います。
3人がそれぞれを想う気持ちを楽しむ漫画から、3人を中心にして作り出されている環境を楽しむ漫画に変化していると思っています。
もちろんその中でゆずこも変わっていき、日々を面白くしようとする性格や、縁ちゃん唯ちゃんに対する無償の愛が揺らがぬものになっていったんだと思います。
それがアホ毛という目に見える形にも表れたのでしょう。
メイン題材にも据えた「初期ゆずこ」は、もっと現世の人に近く、ある程度読者が感情移入できるように描かれていたのかもしれません。
ゆずこが縁ちゃん唯ちゃんの幼馴染ペアと仲良く、心を許し合う過程がゆるやかに描かれていた世界線もあるかもしれません。
きっとその世界のゆずこにはアホ毛が生えていないままなのでしょう。
連載2話目でアホ毛が抜き差しされるキャラが散見されたことを考えると、初連載のアンケート等でその後の展望が大きく変えられた可能性もあり、そのアンケートがわずかにでも違ったらゆずこにはアホ毛が生えなかったのかも。

 

※おまけ:ケース5:水無灯里天野こずえ「ARIA」Mag GARDEN

f:id:akari413:20181217221258p:plainf:id:akari413:20181217221309p:plain

お主アホ毛生えとったんかい。驚きました。

 

付属品:ゆゆ式と私 

ここまで読んでくれた方、お疲れさまでした。もし時間と根気が残っておられるなら、もう少しお付き合いいただければ幸いです。折角たなぼたしたこの機会、ゆゆ式語りをさせてください。ここ以外で語れる場所、そうそうないですし。

まず出会いについて。ゆゆ式との出会いは半年前くらい。バリバリ新参ゆゆ式民。
元から漫画が好きで色々読んでいました。その中で「ジャンルで言えば日常系が好きなんだな」と分かり、「まんがタイムきらら」というコミック誌と、看板タイトルの一つである「ゆゆ式」とを自然に認知していた。
二日酔いで苦しんでたある日、友達に卓球に誘われてついでに漫喫へ、
「今とりたてて読みたいものないな…あ、これ名前知ってる、読んでみよ」
ゆゆ式でした。
イザナギ神とイザナミ神が矛で海をかき混ぜたら雫で日本大陸ができた」
みたいな感覚ですね。何気ない行動で、でもなるべくして、天地を揺るがすことが起きた。
その雫が大きく大きく広がっていくように、始めは「おもしろいな~」だった自分の気持ちも、いまや「きらら展とゆゆ式展で今月どころか来年2月分までお金がお金が大ピンチ」なこの記事を読んでくださってる人は共感してくれるだろうものになりました。

 

もう一つ、ゆゆ式の好きなところをできるだけ言葉にしてみました。
自分の表現力では1割も表現できていませんが、こういうことは大事だと思っています。
前提として、自分のような漫画に「声に出すのが恐ろしい」金額と時間を費やしている方々は、漫画に求めるもの、というのが明確にあると思っています。
面白いだけじゃ割に合わない。
自分の場合、(端的に言うと、)それは「きれいなもの、美しいもの」です。
尊い」という単語の方がしっくり度は高いでしょうか。
5歳の子供がえがく夢のような、雑味がなくただただ美しいもの。そんなものが見たいんです。
特に、個人が個人を思う気持ち。それがゆゆ式にはありました。
ゆゆ式は「純」なんです。
ひだまりスケッチの)蒼樹うめ先生がきらら展目録のインタビューで言っておられましたが、「ゆゆ式ゆゆ式以外の何物でもない」。
他の漫画は、漫画である以上、作者がそこにいます。作者が楔となって、「現世」の欠片がそこに存在します。
でも、ゆゆ式の世界は別の次元にあるんです。
三上小又先生が、世界そのものを「育てた」(この言葉では語弊があります…でも、これ以上の言葉を見つけることができない…)から、そこに雑味がない。
ゆずこ縁唯ちゃんがお互いを好きな気持ちも、3人を中心にして流れる明るい日々も、
一片の陰りなく「きれい」の概念そのままがそこにあるんです。
これが「自分のゆゆ式の好きなところ」、n倍希釈です。


みなさんの好きなゆゆ式は、どんな姿をしていますか?ぜひ聞きたいなと思います。

 

 シメ

文章書きなれていない人によるただ長いだけのオタクトーク、付き合っていただきありがとうございます。
きらら展ゆゆ式展とゆゆ式界隈がにわかに盛り上がったこの季節、来年1月には10巻発売日も控えておりますし、この勢いでどんどん活性化していくことを切に願っています。

 

これだけは最後に。三上小又先生、本当にありがとうございます、これからも応援させてください!